KANさんの楽曲『キセキ』に関する感想や情報を記しているエントリです。
収録先
- 17th Album『23歳』(20/11/25発売)
初オンエア
- 20/11/01(日)【FM】FM COCOLO『SUPER J-HITS RADIO』(20:17)
ファーストインプレッション
ここから先は、ラジオオンエアで初めてこの楽曲を聴いた時のファーストインプレッションを綴ります(CD発売後にインプレッションが変わる可能性はありますが、初聴きの感想を敢えて残しています)。
「ひまわりの約束」オマージュ系
初聴きで最も耳に止まったのは「まっすぐ邪念なく咲いてるひまわり」という歌詞。秦基博氏をゲストプレイヤーに迎えていることと、この歌詞が、秦基博氏の「ひまわりの約束」の中にある「ひまわりのようなまっすぐなその優しさ」と呼応しているのは間違いない、と感じました。
ほかにも、一度は離れ離れになった二人が、時間を掛けたその先でまた重なることを信じている描写や、僕が君に何らかの形で優しさ(KANさんは「声」と表現)を届けようとしている描写、などなど。
何よりも、カタカナで「キセキ」とタイトルをつけているところが、最も秦基博感を出しているのだと思いました。「アイ」「スミレ」「キミ・メグル・ボク」「シンクロ」・・・そういう感じ。あと、ピアノとギターという楽器の違いはあれど、前奏の入り方、抜け方や、AメロからBメロの展開とか。
以上のことから、私的には勝手に「ひまわりの約束」オマージュ系、と解釈しています。
ギターソロのみという贅沢な秦基博氏の使い方
そんな、「ひまわりの約束」オマージュ系だということをハッキリ認識させるためにも、秦基博氏が参加しなくてはならない(勝手な解釈(笑))わけです。
『アイ』の時にKANさんが秦さんのバックでピアノを弾いてコーラスもしたことがありましたので、てっきり、Chorusくらいはちゃっかり入っているのかなと思ったら、さすが、KANさん。Chorusとか歌い分けとかではなく、「ギターソロ」だけで参加させる、という贅沢さ。
そして、その期待に見事に応えるボトルネックな哀愁漂うスライドギタープレイ。圧倒的な存在感でKANさんのキセキの世界を彩ります。
「木村基博」の融合
往年のKANさんの楽曲は、基本的に「このアーティストのこの曲みたいなのがやりたい」というモチベーションによって制作されることが多く、多くがBilly Joel、The Beatles、Stevie Wonderなど、KANさんが長年聴いている洋楽がベースになっています。
その一方で、邦楽をオマージュすることも多々あったわけですが、その場合、これまではどちらかというと「モノマネ」的なテイストが入っていました。槇原敬之氏にしても、浜田省吾氏にしても、桜井和寿氏にしても。だから、聴き手としては、「ネタ」先行で耳に入って消化してしまう傾向がありました(個人差はあります。少なくとも私にとってはそうでした)。
この「キセキ」は、「ネタ」の要素は排除されていて、純粋に、邦楽のこの曲みたいな曲がやりたい、と思ってそれぞれのアーティストを要素分解して再構築し、そこで終わらず、さらにKANさんのオリジナル要素を融合させて、新しいオマージュの形を創っているうちの一つのように感じました。
KANさんならではの繊細な弦楽とピアノが奏でる旋律によってベースとなる和風テイストを揺るぎないものにしつつ、歌詞の世界観やメロディラインや曲の展開の一部、そしてギターソロに秦分を多めに混ぜ込んでいる、そんなキセキの「木村基博」が融合した味わいになっています。結果的に、ものすごく若々しい楽曲になっているようにも思います。(味に関しては個人の感想です)
ざわめきだす『カサナルキセキ』
そんな感想を当初抱いていましたが、風向きが変わってきました。
秦基博さんの2021年1月27日発売のSingle『泣き笑いのエピソード』収録曲(4曲目)の『カサナル』にKANさんがストリングスアレンジで参加した、というだけではなく、この2曲には密接な関係があり、2曲を同時に再生すると綺麗に重なることと、歌詞にも共通点が複数含まれており、楽曲そのものの意味合い・解釈が変わってきている、というお話です。
KANさん自身、インタビュー等で「今までに作ったことがないテイストの曲」と表現していることも含めて、大きな秘密が隠されていると思われますので、今後の動向に注目されます。
合同”謝罪会見”決定
2021年4月22日正午ごろ、ついに動きがありました。二人揃っての合同”謝罪会見”が緊急告知されました。以降の情報は、以下のエントリにて継続記載していきます。
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